みなさんこんにちは!ちえこんです!
今回は嫌いを強調して、正当化しようとするがあまり、
「好きなとこもあるかもしれない」という視点で見ていなかったなという話。
もちろん、自分ではそんなつもりがないんです。
でも「脳」が好きな一貫性、統一性によって「嫌い」や「イヤ」を貫こうとしたんでしょうね。
私はもともと奈良の出身で、今は京都に住んでいます。
京都に住んでみて思ったのは「京都は遊びに来るとこやな~。住むとこではないな。」
個人的な意見ですよ。なんというか、せせこましい。道が狭い。人が多い。
地元が奈良の田舎の方というのもあるのかもしれませんし、
コロナで人離れをしたのもあるかもしれませんし、
年齢を重ねてきたからかもしれません。
最近は特になんだかせかせかした感じを拒み、ゆったりした、広々とした感じを好んでいるようです。
この前のブログにも書きましたが、先日絵本作家さんの作品展を見に行ったんですよ。
それが京都の「二条」というところで。
あんまり行ったことが無いところで、近くに「二条城」があります。
なんか、お城の近くだからか、道とか広々としていて、せかせかした感じが無くて
「ええとこやな~」と思ったんですね。
で気づいたんです。
「イヤ」を自分の中で強調していて、京都の「いいとこ」見ようとしてなかったな
って。
知らない間に「嫌い」「イヤ」を自分の中で正当化して、それを強調して、違う視点から見ようとしていませんでした。
こんなことって他にもあるかもしれないな。
で、ひとつ思い出したことがあります。
「全てを動詞と捉えると解決しやすい。」
動詞って動きのある言葉。行く、する、食べる、とか。
動けばいいんですよね。動くことで変わる。そう動けばいいんです。
「行きたい」なら行けばいいし
「食べたい」なら食べればいい。
名詞で捉えると動きが無くなって固定されて変わらない。
「好き嫌い」なら「好き」「嫌い」で固定されてしまうけど
「好きになる」「嫌いになる」ならそう動けばいいんですよね。
簡単かどうかは置いといて。。。
「全てを動詞と捉えると解決しやすい。」久々に使った考え方でした。
その時々で最善の選択をするためにどの考え方を使うか。
そんな風な考え方の使い分けができると、なりたい自分、自分らしい生き方を続けていきやすくなりますよ。
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