みなさんこんにちは!ちえこんです!
昭和の常識は平成令和の非常識。
これを思わすテレビ番組を何度か見たことがあります。若いころから好きなダウンタウンさんが司会をされてました。
平成生まれの芸能人が、昭和に流行っていたことを見て、びっくりしていましたね。まぁまぁ昭和な私でも「それはアカンで~」とテレビの前でつっこむようなこともありました。
最近では「ありえへん∞世界」というテレビ番組が毎週やっているようです。毎週やれるぐらい「昭和」って、今から見ると驚き満載だったんですね。
昭和では常識だったこと13選!さて今は?
そんな昭和の常識。今と比べてみましょうか。思いつく限り書いてみました。
1.タバコの扱い、電車やバス・病院・職員室で喫煙OK →今や吸える場所を探すのも大変 |
2. 部活や体育で「水を飲むな!」 水を飲むのは甘さの表れ →熱中症で倒れるし、逆に飲まないと怒られちゃう |
3.上司が怒鳴る、先生がビンタする「愛のムチ」 → パワハラ!コンプライアンス教育!で即アウト |
4.車のシートベルトは装着なし、バイクのノーヘル当たり前 →今や義務!捕まりますよ! |
5.写真=フィルム、「写ルンです」とかありましたね~ →ほぼスマホで完結で“アルバム”もスマホから |
6.ダイヤル式の黒電話を“ジーコジーコ”回す →家に電話ありませんけど?プッシュ→スマホでしょ |
7.駅で切符を買い、改札で駅員さんがパチン → ICカード・QR改札で完全自動化 |
8.トイレは和式が主流 →和式の使い方がわかりません!洋式&温水洗浄便座が標準 |
9.テレビが映らなければ“叩いて直す” →どこ叩くんですか?デジタル液晶は叩くと壊れるだけ |
10.好きな曲はTVやラジオの前で“息を止めて”カセット録音 →カセットって何ですか??サブスク配信でワンタップDL |
11.街角に公衆電話ボックスがずらり →今や探してもない!スマホ普及で誰が使うの?状態 |
12.子どもでも酒やタバコが買えた。「お父さんのおつかいです!」 →年齢確認が義務化されてますね~ |
13.消費税ゼロ円、レジでは端数切り上げなし →今や10%へ。税込表示が義務 |
いろいろありましたね。
私の記憶では、タバコが印象的です。会社の中でも、デスクや会議室には灰皿が置かれていた記憶があります。
今では考えられないことですよね。でも当時は当たり前。
バイクのヘルメットや、車のシートベルトも着用義務はなかったな~。小さい頃の思い出には、父親がノーヘルで、バイクの座席の前に私を立たせて乗っていたこともありました。
一番の変化は、インターネットの普及でしょうか。スマホや携帯電話が無い時代なんて考えられないんじゃないですか?
それらが無かった時代を経験している私でさえも、調べ物をどうしていたか忘れているぐらいです。
当たり前って何やねん!
昔は常識だったことが、今や非常識となっている。
その理由には法律の改正や技術の発達、価値観の変化などありますね。
「安全・健康・プライバシー」を重視する流れが出てきて、昭和的な「根性・一体感」的な感覚からの行動が、令和では「ハラスメント・リスク」と見なされやすくなりました。
時代によってこんなに大きく違うわけですが、常識とか非常識とか、誰が決めてるんでしょうね?
普段の生活における「当たり前」も同じことが言えそうです。誰が決めているんでしょうね?
「30歳までに◯◯すべき」は誰の基準?

過去の私が思っていた当たり前を少し挙げてみますと、、、
結婚は30歳ぐらいではしとかんとね~
転職考えるなら30歳ぐらいまでちゃうの~
30歳で貯金ないってどうよ!?
30歳でまだ実家にお世話になってるってどうよ!?
やっぱ安定は正社員っしょ!
ご飯は1日3食たべないとね~
遅刻はアカン!!
なんかキーワードか!っていうぐらい「30」が出てきましたが、なんとなくこれらを当たり前としていました。
これは誰が言うたんや?っちゅう話です。答えをすぐ言ってしまいますが、
世間一般的に言われていること=当たり前
ですね。
往々にして、この「当たり前の選択」は無意識にしています。
頭のなかはこんな感じ。
当たり前に従えばどうなるか
→みんなが選んでるんだから、安心。きっとよくなるんだろう!
当たり前に従わないとどうなるか
→疎外感ハンパない。不安。どうなるんかな?
きっと大多数の人は「幸せで楽しく安心して暮らしたい」と思っていることでしょう。
で、みんながそれいいよっていう「当たり前」を選択すれば、それなりに幸せに暮らせる。
だって、みんなそうしてるから。
「大きな失敗はなさそう」っていう安心な選択だ。
このような思考で、自分以外の基準で作られた「当たり前」を無意識に取り入れてしまっています。
「当たり前」と言われることも、自分基準で考えて取り入れてよし!と判断できていればいいですよね。
でも、考えることすらせずに「当たり前やし」と世間が作った判断基準で選択しているとどこかで違和感が発生するかもしれません。
ハイ!違和感発生したのは私です!
30歳というのが一つの節目のように感じていて、精神的にも経済的にも自立できている大人になっていないといけないと思っていました。
世間の目を気にした当たり前でした。
30歳になった自分がその基準を満たせていなかったので、「自分はアカンやつかも・・・」と疑うようになっていました。
いつから身に付いたのだ?

今見てもらったように、「当たり前」としていることは無意識で、深く考えることが無いと思うんですよね。
これ、なんでかというと、「”右に倣え”の環境が多いから」だと考えます。
例えば、
朝起きたら顔を洗う
毎日歯を磨く
トイレに行ったら手を洗う
ゴミはゴミ箱に捨てる
ドアを開けたら閉める
挨拶をする
これらはきっと、みんな「習慣」になっていることで、「なぜそれをするのか?」は考えないと思います。
なぜ習慣づいたかというと、子どもの頃、そう教えてもらったからではないでしょうか?
うちの子どもが小学1年生の時は、これらの行動は習慣となっていませんでした。
なので、顔を洗ったり、歯を磨いたりをするか、しないか、この判断をどこかでしています。
その判断基準は、
「ママが言うから」
です。。。きっと。。。
当たり前だからやるのではなく、気持ちがいいからやるのではなく、息子くんは
怒られたくないから ママが言うから 先生が言うから
やっています。
きっと、私たち大人も、こんな時期があって、それぞれやることが当たり前となって今、習慣になっているんだと思います。
習慣づけたことで、よいことはたくさんあるんですが、「なぜそれをやるのか?」を考える機会がありません。
自分に習慣づいていることは、自分が納得してその行動を起こしているわけではなく、「そういうもんだから」やっている可能性が高いです。
なので、この習慣づいていることが、誰かが決めた判断基準だということに、ずっっっっっっっと気づかずに、「それをやることはいいことだ、当たり前なんだ」と、無意識に判断してしまい、自分ではない判断基準で動く癖がついてしまっています。
じゃーどーする?

子どもの頃から、「当たり前」を受け入れる癖がついています。
私も、そのうちの一人でした。
「当たり前レール」に乗っかろうとしましたが、乗れずに「自分ってアカンやつなんかな?」なんてことまで思ってしまっていました。
「当たり前」が世間一般から作られているということは、多数派が作っている、平均とするところということですね。それが常識、当たり前となっています。
前述した「昭和の常識は、平成令和の非常識」というのが表しているように、常識だったことが時間を経て非常識になることだってあるんですね。
周りの目を気にした選択や、「当たり前やし」という選択が、必ず自分にとってよい選択になるとは限りません。
え?当たり前ですけど?何か?
そー決まってるんで。
の前に、その当たり前は 誰基準? 何基準? 目的は何? と考えて見つめなおしてみましょう。
その当たり前、ちょいとワークで考えてみましょうか
生活をする中で、ちょっとしたことでも、私たちはたくさん判断をして選択をしています。
以下の3つに対して「誰基準? 何基準? 目的は何?」を考えてみましょうか。
朝起きる時間は?
着る服は?
何を食べるのかは?
自分で決めてますけど?と思いますよね。大事なのは何を基準にしているかということ。
例えば、朝起きる時間は「会社の始業時間の30分前には会社についてるのが当たり前」としていたら、そこから逆算して決めていると思います。
「会社の始業時間の30分前には会社についてるのが当たり前」、これは誰の基準でしょうか?
10分前でいいと思ってたけど、なんか先輩の目が冷たいな、、、先輩が自分より後に来たことないよな。これは「早く来い」ということか。。。
とか、思っていたら、これは「先輩を基準」にしています。
潜んでましたね、他の基準。
まとめ:生き方も自分で選択してよいのです。

自分が当たり前だと思っていることが、必ずしも自分にとっていいとは限りません。
知らない間に使っていた、親や会社や学校、社会の基準。当たり前を見直すことで、自分も基準にいれて選んでいたのか、気づくことができます。
生き方も自分で選んでいっていいんです!
最後まで読んでいただいてありがとうございます♪
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