昭和の常識は平成令和の非常識。当たり前を見直そう!

自分づくり

みなさんこんにちは!ちえこんです!

 昭和の常識は平成令和の非常識。

これを思わすテレビ番組を何度か見たことがあります。若いころから好きなダウンタウンさんが司会をされてました。

平成生まれの芸能人が、昭和に流行っていたことをみてびっくりしていましたね。まぁまぁ昭和な私でも「それはアカンで~」とテレビの前でつっこむようなこともありました。

昭和では常識だったこと。

例えばタバコ。
今や吸える場所を探すのも一苦労するくらいですが、昭和な時代は分煙なんて言葉ありませんでしたし、電車でも吸えていたと思います。会社の中でも会議室には灰皿が置かれていた記憶があります。
今では考えられないことですよね。でも当時は当たり前。

バイクのヘルメットや、車のシートベルトも着用義務はありませんでした。小さい頃の思い出には、父親がノーヘルで、バイクの座席の前に私を立たせて乗っていたこともありました。

一番の変化は、このインターネットの普及でしょうか。スマホや携帯電話が無い時代なんて考えられないんじゃないですか?

それらが無かった時代を経験している私でさえも調べ物をどうしていたか忘れているぐらいです。

さてさて、
当たり前を見直そう!ということですが、当たり前やろ!って言葉最近どこで使いましたか?

 朝起きたら顔を洗う 
 トイレに行ったら手を洗う
 ゴミはゴミ箱に捨てる
 ドアを開けたら閉める

今完全に子供のことを思い描きながら書いていましたが。。。

この例に挙げたようなこと、大人は習慣づいていて、なぜそうする必要があるのかって考えることないと思うんですね。

これらのことは「当たり前のこと」で、やらないと気持ちが悪いし、やるかやらないかを意識的に判断することはありません。

が、子供はどうでしょう。

年齢にもよりますが、うちの小学1年生の息子くんはこれらの行動全ては習慣となっていません。

なので、どこかのタイミングでするかしないかの判断をしています。

タイミングとしては周りから言われた時です。 が、判断基準は

 「ママが言うから」

です。。。きっと。。。

当たり前だからやるのではなく、気持ちがいいからやるのではなく、息子くんは

 怒られたくないから ママが言うから 先生が言うから

やっています。

言うなれば 世間の当たり前を自分の当たり前とするための訓練 を彼はやっています。

成長過程のどこかで、なぜそれが当たり前なのか、なぜそれを僕はやるんだろうかと疑問を持ってくれるように仕向けようとは思っていますが、このままいくと息子くんは、

    
ずっっっっっっっと 誰かが決めた判断基準

で動く癖がついてしまいます。

さて、私たちはどうでしょうか?

過去の私が思っていた当たり前を少し挙げてみますと、、、

 結婚は30歳ぐらいではしとかんとね~
 転職考えるなら30歳ぐらいまでちゃうの~
 30歳で貯金ないってどうよ!?
 30歳でまだ実家にお世話になってるってどうよ!?
 やっぱ安定は正社員っしょ!
 ご飯は1日3食たべないとね~
 遅刻はアカン!!

なんかキーワードかっていうぐらい30が出てきましたが、なんとなくこれらを当たり前としていました。

これは誰が言うたんや?っちゅう話です。

    
世間一般的に言われていること=当たり前

ですね。

「幸せで楽しく安心して暮らしたい」というのは人間の欲求の1つです。

で、この「世間一般的に言われていること=当たり前」。

往々にしてこの当たり前の選択は無意識にしています。頭のなかはこんな感じ。

 これに従えばどうなるか

→幸せになれる。みんなと一緒。

 これに従わないとどうなるか

  →幸せになれない。疎外感ハンパない。

 みんながそれいいよっていう「当たり前」を

選択すればそれなりに幸せに暮らせる。

 だいたいみんなそうしてるから

大きく失敗しなさそうっていう安心な選択だ。

このような思考で、自分以外の基準で作られた当たり前を無意識に取り入れてしまっています。

「当たり前」と言われることも、自分基準で考えて取り入れてよし!と判断できていればいいですよね。

でも考えることすらせずに「当たり前やし」と世間が作った判断基準で選択しているとどこかで違和感が発生するかもしれません。

ハイ!過去の私です!

「当たり前レール」に乗っかろうとしましたが、乗れずに「自分ってアカンやつなんかな?」なんてことまで思ってしまっていました。

その時代時代の常識、当たり前。

世間一般から作られているということは多数派が作っている、平均とするところ。
それが常識、当たり前となっています。

前述したように「昭和の常識は、平成令和の非常識」というのが表しているように
常識だったことが時間を経て非常識なこととなりえます。

周りの目を気にした選択や、「当たり前やし」という選択が必ず自分にとって良い選択になるとは限りません。

 え?当たり前ですけど?何か?

 そー決まってるんで。

の前に、その当たり前は 誰基準? 何基準? 目的は何? と考えて見つめなおしてみましょう。

私が見直した当たり前。それはキーワードになっていた30ですね。
30歳というのが一つの節目のように感じていました。精神的にも経済的にも自立できている大人になっていないといけない。という世間の目を気にした当たり前。

先にも書いたように、自分以外の基準で判断していることに気づいていなかったので、30歳になった自分がその基準を満たせていなかったので「自分はアカンやつかも・・・」と疑うようになっていました。

ですが、
「生き方を選択できる」という意味をしっかり捉えることが出来るようになってから自分基準の判断も出来るようになり、自分の中での当たり前を見直すことが出来ました。

生きていく中で私たちはたくさんの選択をし判断し決断をしています。というとちょっと重たいですが、

 朝起きるにしても、何時に起きるのかを決め
 服を着るにしても、何を着るかを決め
 ご飯を食べるにも、何を食べるかを決め

ています。決めているのは自分です。大事なのは何を基準にしているかということです。

うちの息子くんのように、ママや先生という自分以外の基準で決めていては、なりたい自分、自分らしい生き方は遠く、見つけることすら難しくなってしまいます。

子供のころの選択は心動くまま選択していたこともたくさんあるとは思います。選択の基準なんて意識することはなかったでしょう。

年齢を重ねると周りのことをいいも悪いも気にかけられるようになり、その場の最善の選択をしていると思います。

そこに「自分」がいるようにしてほしいです。その場にしっかりと「自分」を置いて最善の選択をしてほしいです。

自分が当たり前だと思っていることが必ずしもいいとは限りませんし、基準によってはほかの選択肢もあります。怖がらず一度当たり前を見直して違う選択をしてみてください。新しいものが見えてくるかもしれません。

おもしろい楽しい生き方=生き方を選択できる

ことだと私はとらえています。自分基準で選択をして、楽しい、おもしろい生き方をしていきましよう。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。
お役に立てていただいて「ありがとう」な毎日をお送りください♪

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