こんにちは、ちえこんと申します!
プロフィールを覗いていただいてありがとうございます。
ちょっとでも興味を持っていただいたあなたに!
読んでよかったと思っていただけるように、あなたの糧になるように
願いを込めて書きますね。
「あなた」はどんなことを思ってここに来てくれたのかなって、今イメージしてみました。
・周りの空気を読んで、はみ出ないように生きてきてなんか違和感感じるわ。。。
・なんか最近このままでいいんかなって思ってんのよね~
・周りの人の目ばっかり気にしてるよな。。。
・こんな自分じゃダメっていつも思っているよな~
・時間ばっかり気にしてるわ。。。
・自分は足りないことだらけで、何もできることないな~
・毎日おんなじ。これ続けていくん?ずっと?・・・
・あ~なんか自分のためになることした方がいいんかな?
当てはまるものはありましたか?
このようなことにお心当たりがある方には、きっとここに何かヒントがありますよ。
これらは全部私が思っていたことで、今は解消していますので。
人生楽しく、おもしろく、自分を生きる!
人生楽しくて、おもしろい方がいいですよね!
私の好きな曲の一節にこんなものがあります。
♪ やりたいように やりたいこと できればいいのにな ♪
「やりたいようにやりたいことをやる」って楽しそうな人生ですね!
「人生」とか「生きる」とか、、、
ちょっと重く感じてしまう方もいらっしゃるかもしれませんが
日々が楽しくおもしろいとその先の人生も楽しくおもしろいものになっていきます。
私の生きたい生き方は
「時間も収入も自由に!何があっても大丈夫な自分になり、不安なく生きたいように生きる」
でございます。
私は昔からそんな風に思っていたのですが、実感できるようになったのはつい最近です。
思ってはいたものの大人になって「そんなことを言うてたらアカン!」と思って、
できるとは思っていませんでした。
ですが今、私は生きたいように生きるために日々の行動を選択しております。
選択を変えたらできるようになりました。
「選択」を変えただけ
以前の私は・・・
・他人の目を気にし、
・嫌われないように気を配り
・「自分」とはこういうものだと決めつけ
・「自分らしく」ない人生を歩み、
・「自分らしく」がどんなものかもわからなくなり
・モヤモヤし、ほんとにこれでいいのかと不安な人生
を歩んでおりました。
選択を変えた今の私は
・他人の目は気にしなくなり
・嫌われることを気にしなくなり
・自分の変化を楽しみ
・自分で選択をし
・自分らしく、居心地のいい環境をつくり
・晴れ晴れと毎日過ごす
という日々を送っております。
きっとまだまだ経験したこと無いような、想像もできないようなことが起こったりするかもしれませんが、
なんとでもできる心境で「何があっても大丈夫な自分」を手に入れました。
あなたはいかがですか?「生きたいように生きる」生き方、どう思われますか?
「ステキや〜ん」
「いやー無理やろ」
「生きたい生き方ってなんや??」
「オレ、今まさにそれですけど、何か??」
いろいろあると思います。
私のプロフィールに目を向けてくださったあなたはきっと、以前の私のように
「楽しい、おもしろい方がいいのはもちろんやけど、そんなの無理、だって大人やもん・・・」
とか
「無理やろなと思ってるけど・・・できるんやったらやりたいなぁ」
って思っていませんか?
前述したように私が変えたのは「選択」です。
例えば、、、
・いつもなら周りに合わせて選択していたことを自分の意志で選択したり
・今日のランチをパスタにしたのはなぜなのか考えてみたり
・いつも使っているシャンプー、なぜそれを選んでいるのか考えてみたり
と「選択」に関する考え方、行動を改めてみただけです。
「それやったらできそう!」
と思ったそこのあなた!
おめでとうございます!あなたも一緒に楽しいおもしろい人生獲得です♪
「選択」を変える。
そんな簡単なこと、なんでできなかったんかな?って今となっては思います。
できなかった原因を考えてみると
・勇気が必要だった
・やり方を知らなかった
この二つだと思います。
この二つが原因となったのは今までの私の歩みです。
私はごくごくいわゆる「普通」と言われる部類の人間だと思います。
ものすごく運動ができるわけでも
ものすごく頭が賢いわけでも
ものすごく容姿がいいわけでも
ありません。
ですが、そんな私でも「選択」を変えることができました!
楽しい、おもしろい生き方。それは自分で選択できる生き方だと思います
生きたいように生きたいあなた。人生迷路になりつつあるあなた。
好きを好きと表現し、大切を大切にしたいあなた。
一緒にやってみませんか?
そんな思いで私の歩みを書きました。
きっと共感してもらえると思います。ぜひ読んであなたの糧にしてください。
「一生懸命」がすべてを解決してくれる?
学生時代の私はいわゆる優等生、真面目ちゃんで先生のいうことをよく聞き規律正しい生活をしていました。
こう書くと子供らしくない子供ですね。。。
掃除の時間に遊んだり、「静かに!」と言われているのにしゃべっている同級生の意味が分かりませんでした。
でも「真面目そうでおもしろくない人」と思われたくなかったので自分の振る舞いがどう受け止められるのかをめちゃめちゃに気にしていました。
周りの目を気にする体質はすでに出来上がっていたように思います。
以下のイベント達。あなたも経験されていると思います。
入学、テスト、進級、卒業。なんちゃら発表会、運動会etc。
勝手に向こうからやってきていましたね。
これらの課題やイベントに対して「なんでやらなアカンのや?」な~んてかけらも思わず疑問も持たず、ただただしっかりとやることに一生懸命でした。
きっとこんな思考回路だったと思います
・一生懸命やってれば問題なし
・一生懸命やってるように見えれば問題なし
・先生の言うこと聞いてれば問題なし
・みんながOKならばそれで良し
・ま~るく収まればそれでよし
・迷惑かける行為は問答無用で排除
いい子でいようと意識はしていませんでしたが「よく思われたい」という気持ちは強かったと思います。
小学校、中学校、高校と、誰かが何かの目的のために作ったいろんな課題やイベント。
ただただ言われるがままに一生懸命やっていました。何も疑っていなかったので、期待に応えられている気がして満足していました。
そして、人生の中で結構重要とされている、将来を決めかねない大学への進学は。。。
いつもいい子で心配されない立ち位置だった私に、先生から進路について心配してもらったのが
うれしく、紹介してもらった大学に推薦で入りましたとさ。。。
受験勉強が嫌だなぁという思いもありましたが、心配してくれた先生の思いに応えたいという気持ちもあり、
行きたい大学でもなかったのですがなんとなく自分の好きな、得意な分野で学部を決めて、それなりの理由をつけて「受験」を終わらせました。
そして、いわゆる「大学生」をエンジョイ(←←ちょいと古いな)していました。
答えを探すではなく、与えられた答えにあった理由を作っていたなと思います。
目の前にあるものしか見えていなくって、その先自分がどうなりたいかなんて微塵も考えていませんでした。
そしてまた向こうから勝手にやってくる「就職」という課題。
これもそれなりの理由をつけて会社を選んで、「就職活動」を一生懸命頑張り無事就職できました。
学校生活が「足かせ」になってしまった。。。
さて社会人。驚きです。
1年目は仕事を覚え、慣れるのに必死。あっという間に過ぎていきました。
2年目ぐらいかな、ちょっと慣れてきたころ
「あれ?次の課題はなんかしら?」
と思いました。そう
「課題」がやってきません。
今まで向こうから勝手にやってきた「課題」「節目」がやってきません。
「ん?、、、 んん?!、、、 どしたらいいの?」
突然の迷子でした。
何に一生懸命になればよいのか、どこに向かえばいいのかわからなくなってしまいました。
日々の業務はこなせるけれど、これをやった先に何があるのか?
そして気づいたのでした。
今までの「課題」はほかの誰かが「こうなってほしい」という思いから作られたもので、
自分で作ったものではなかった。
なので、ここに来るまで「こうなりたい」を自分で作る必要がなかったのでした。
そして初めて疑問を持ちました。自分は「どうなりたい?」
そしてそしてそして、焦りました。「うっわどうしよう?????」
課題をクリアする方法は学生時代にイヤというほどやってきましたが
自分で課題を作る方法は学んでおりませんでした。。。
「こうなってほしい」という思いに応える受け身な人生しか経験しておらず、
「こうなりたい」という自分から始める人生を経験しておりませんでした。
明確な答えは出せず、疑問を持ち違和感を感じながらもサラリーマンという選択肢しか持ち合わせていなかったのでサラリーマンを続けました。基本真面目なので、会社から求められることに一生懸命働きました。
でも働けば働くほどに、一生懸命の使い方を間違っている気がしてきました。
会社の利益は上がるけど、自分の利益はあがらない。
いろいろと経験はさせてもらったけど、いわゆる収入はあがらない。
周りの人は愚痴に疲労にいっぱいいっぱい。
おもしろくない、やりがいがない
ないないない・・・・
これずっと続けるん? いやーさすがに無理やわ~
という思いが大きく、大きくなっていきました。ここでもう一度自分と向き合います。
「どうなりたい??」
自分の好きな「歌うなこと」に関連した仕事を考えてみたり
適職、適性検査をしてみたり、
興味のあることをちょっと深堀して勉強して資格を取ってみたり
占ってもらったり。。。占ってもらったり。。。
もう他力本願ですね、、、
すがれるものにはすがり付く。。。
なかなかの最終段階でした。。。
試行錯誤の結果こんな答えが出ました。
「自分のおこないで、困っている人を助けられたらいいのにな」
「大事なことを間違わない。どこでも、何があっても生きていける自分。そんな人になりたいな」
当時、一人暮らしをしていたので
「働かないと生きていけない、収入がないと生きていけない」
というのが基本概念で、結局
「どうなりたいか」=「どんな仕事をしたいか」
という風にしか考えておらず、資格を生かして転職したものの違和感は残ったまま解決しませんでした。
そりゃー解決しませんなーって今はわかります(笑)
なんでこんなに自由がないんやろ?
時間も決められ、収入も決められ(今思うにそれも自分で選択しているのですが)
なりたい自分にも近づいている気がしなくて、ほんとにこれでいいのかといつも不安でした。
自分が望んでいるのはこんなことではないと知っていたけど、
雇われている以上、収入も時間も自由に自分で決めることはできないんだと気づいていたけど、
サラリーマン以外の選択をすることは怖く、ほかの解決の仕方がわからなかったんだと思います。
無理やと思うしかなかったんだと思います。
人生は苦労するもの。しんどいもの。
そこそこ楽しくて、普通やったら御の字やと思いまひょ。
仕事が楽しいなんて、ほんの一部の人が言うてるだけですわ~
と一般論に落ち着かせることしかできませんでした。
わかっているようでわかっていなかった「自分のこと」
疑問、違和感を持ちながらサラリーマンを続けていました。そして結婚を機にまた転職することにしました。
「わっ!大黒柱が自分じゃない!イエーイ!」
仕事の優先順位ががらりと変わり下がりました。仕事を選ぶ基準も変わりました。
職場の人間関係は良好で、楽しく安心感のある生活を送れていたので、不安や疑問を持っていたことは一時停止していました。
子宝に恵まれて、さぁこれからお金がいるぞっっと思っていたので仕事は続けることにして産休、育休を経て職場復帰も果たせました。
しかし、そこで事件が起きました。。。
よく熱を出す子供だったので、よく会社も休ませていただきました。
なぜ熱が出るのかわからず、なぜ泣いているかわからず、何もできない自分の不甲斐なさに直面。
仕事中に突然かかってくる保育園からのお呼び出し電話にビビり、電話があれば容赦なく帰宅。
毎日予定なんてこなせず、仕事も中途半端。。。
私はいったい何をやっているんだ、仕事も子育ても中途半端。自尊心は丸つぶれ。
「自分はダメ人間。何の役にも立たんヤツ」
自分を情けなく思い、存在価値が無いと思うようになっていきました。
職場復帰から半年ほど経って、子供の熱が落ち着いてきて続けて会社に行けるようになってきました。
その頃ふと、私に対する同僚達の態度が変わっているように感じました。
自分の不甲斐なさを感じ、「役に立てないダメなヤツ」という自分に対する思いから、私に対する周りの対応がよそよそしく感じ、「居場所がない」ととらえてしまったのかもしれません。
他人の目を気にし、嫌われないように気を配って生きてきた私だったので「こんな自分では受け入れてもらえるはずがない」と自ら疎外感を生んだのだと思います。
私の心は傷つきました。心の持ちようを求めてカウンセリングを受けたりセミナーに参加したりしました。
そんな中で私は自分の思考の特徴に気づきました。
「周りの人より一目置かれたい」
「いけてない奴と思われたくない」
「役に立つ人間でないといけない」
このころの私の特徴は完全に周りを中心にした思考です。周りの人にどう見られるかを意識した思考でした。
ほんとの自分とは?
妊娠、出産、育児は想像できる範囲をはるかに超えていました。
なのでできないこと、わからないことがあっても当たり前だと今は思えます。
ですが自分では何もできない、かよわい乳幼児に対して母親である私がわからないこと、できなことがあっては命取りになるという恐怖がありました。
できない、わからないことがある自分を責めていました。
そして周りからの評価を恐れていました。
初めてのことをパーフェクトにできる人などおらず、すぐに対応できない私を責めていたのは自分だけでした。
誰もできない私を責めていません。それができないとだめだと思っているのは私だけ。
周りの評価を気にした挙句に自分を責めていた。そして気にした周りは誰も私を責めていない。
大きな勘違いをしているように思いました。
勘違い①
自分は役に立つ人間でないといけない。役に立たないと存在価値がない。
だからできないことがあっちゃダメなんだ。
ましてや周りの人ができていることをできないなんてとんでもない。
勘違い②
こんな人間になってほしいと一般的に望まれている人になろうとしていた自分。
こんな人間になってほしいと望まれていると勝手に思い込んで、期待に沿えない自分はだめだと思っている。
幼少時代から評価されっぱなしで、良い評価を得ることが喜びでした。
期待に応えることができて褒めてもらえることはこの上ない喜びでした。
あなたはどうでしたか??
よい評価を得るために行動してきた自分はほんとの自分なんでしょうか?
もし期待されていたとしてもそれが自分にそぐわないのであれば合わす必要はなかったのではないでしょうか?
ほんとの自分を生きてもいいんじゃないかな?
そんな風に思うようになっていきました。
「自分を生きる」
できないこともあってよし!な自分。周りの期待なんてものは自分の妄想。
こんな時代だからこそ
心に傷を負った出来事は、
周りの評価を中心にした生き方ではなく、自分を中心にした生き方
を始めるきっかけとなりました。
そうこうしているうちに、当時の「環境」とは上手く距離感をつかめるようになっていました。
そしてとんでもないことが起きましたね。
「コロナ禍」
な時代になりました。
在宅勤務や時間をずらした勤務体制。
いつもがいつもでなくなって、普通って何なのか、誰もが一度は考えたのではないでしょうか?
社会人になってからずっと抱いていた疑問、不安。
結婚して生活が変わったことで一時停止していましたが、これを解消することがこれからの時代必須だと思いました。
「自分のおこないで、困っている人を助けられたらいいのにな」
「大事なことを間違わない。どこでも、何があっても生きていける自分。そんな人になりたいな」
やっぱりこれが必要で、子どもにはそんな私をみて育ってほしいなと思うようになっていきました。
自粛生活が続くなか、あるサイトでこんな言葉を見つけました。
「この先20年を決める。今知っておくべき3つの死ぬほど大切な働き方」
「自分を生きる」 そして 「なりたい自分」
これらを手に入れるために必要な要素がそこにあるように直感し、食い入るように読みました。
そこから時代の流れや自分のあり方、考え方などいろいろ学ぶようになりました。
学んでいく中で、これまでの私は
・評価されることに慣れ
・良い評価を得るために生きていたこと
が明白になりました。
そして誰の評価からでもなく「私は私でいい」ということに気づかせてもらい、自分を満たすことができました。
この「自分を満たす」ことが「何があっても大丈夫な自分」になるために超重要なことだということがわかりました。
そして
・生き方は選択できる
・今までの人生は自分の選択によってできているけれど選択した基準が自分ではなかった
ということを理解することができ、「自分を生きる」ことにつなげることができました。
ガラガラーっと音を立てて大きく大きく変化していく時代、何が起きても不思議ではないことを誰もが体感したと思います。
私は自分の常識を見つめなおし、自分がどうありたいかを腑に落とすことができました。
こんな時代が来たからこそ、私は自分の人生を歩めるようになったんだと思います。
そしてそんな私だからこそ伝えられることがあります。
以前の私のように
「俺、なんでこんな毎日しんどいねん?」
「私、こんな人生望んでたっけ?」
というようなモヤモヤした気持ちで過ごしているあなたにも、このモヤモヤを解消し、あなたの生きたい生き方を選んでほしいと思っています。
私は私でいいと気づき、自分を基準に生き方を選択し、人生を自分で進めている充実感をあなたにも味わってもらいたいです。
私のように、そして未来のあなたのように、生きたい生き方を選択できる人が増えればこの世の中は平和だと思います。
たっっっくさんの情報があふれる日常の中、日々の余計なこと、いらん感情で「自分」がどっか行ってませんか?
「生きたいように生きる」つまりは「生き方を選択し自分を生きる」
蓋して存在すら忘れているかもしれない「なりたい自分」
そろそろ見つけてあげましょう。水あげて栄養あげて一緒にそだてていきましょう。自分の想像以上のことが起きるかもしれません。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございます!
もしも今、最後まで読んでもらってソワソワとした、ワクワクとした気持ちが心の奥底で動き始めているのならば、
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