みなさんこんにちは!ちえこんです!
今回のタイトルのキーワード「進む」。
私って成長してるんかな?
前に進んでいってるんだろうか?
って不安になったりすることはありませんか?
成し遂げたいことがあったり、このままでいいのかな?と疑問に思ったり。
何か行動を起こそうとするときには勇気が必要な気がします。
なんとかかんとか、勇気を出して「行動する」という一歩は踏み出せた!
ステキですね!
そして
二歩三歩、、、と進むうちに、あれ?進めなくなってしまう。。。
一歩目は踏み出せるけどだんだんと足が出なくなってくる。
やった方がいいのはわかってるけど、できない、やらない。
一歩出せたんやし、いけるでしょって思うんですけど、
勇気を出したその一歩、相当頑張ってだしたのかもしれませんね。
一歩目出してみたら、いらぬ感情が湧いたりしたのかも?
さて、どんな「一歩」があるか見てみましょうか。
きっと二歩三歩と進んでいった方がいいのはわかってるんですよね。
気付いてるんですよ。
でも、気付いていないふりをする。進まなくていいように仕向けてしまう。
さて、これはどんな思考から来ているんでしょうか?
私の場合は「恐怖」から気づいていないふりをしていました。
進まなくていいように仕向けていました。
怖いと動けなくなってしまいますよね。
目の前にお化けがいたら前に出るどころか、後ろにも下がれないくらい。。。
ちょっと例えが小学生並みですがw
さて、この「恐怖」はどんな恐怖でしょうか?
もちろんお化けがいるわけではありません。
ちゃっちゃと結論をお話してしまいますが、
この「恐怖」は周りからの評価、人の目からくる恐怖ではないでしょうか?
以前の私は、
人の目を もう 最高に 最強に 気にしていましたw
この「恐怖」により進めなくなることを理解して、解消して今の私がいます。
なので当時の私の思考や行動を例に、皆さんも一緒に理解して解消して進んでいきましょ!
私が人の目を気にするがあまり持っていた4つの「恐怖」

私が人の目を気にするがあまり持っていた「恐怖」は4つありました。
- 周りからどう思われるのかという恐怖
- 「頑張っている人」と思われたい。評価が下がることが怖い
- 理想と現実のギャップを目の当たりにするのが怖い
- 失敗が怖い。失敗することしか考えられていない
実際にどんな内容の「恐怖」だったのか、具体的に見て行きましょう。
恐怖① 周りからどう思われるのかという恐怖
・みんなと違うことをして否定されるのが怖い。
・嫌われるのが怖い。
・仲間から外されるかもしれない。
という思考、感覚です。
「こんなこと言ったら嫌われるかな・・・」
「あーした方がいいと思うけど、「余計なことして!」とか思われるんいややな~」
という恐怖が頭をよぎるようなことないですか?
状況にもよりますが、自分の意見を言うのって、結構勇気がいりますよね。
仕事であれば、会議や何か決めごとをする場合に、みんなと違う意見は発言しにくかったり、上司や先輩と違う意見を持っていても「ですよね~」と同調してしまったり。
友達同士の食事なら「パスタがいい!」「お米が食べたい!」「いや粉もんでしょ!」と好きなように話ができますね。
違う意見が出ても「じゃ~じゃんけんで決めよ!」とか「昨日の夕飯何やった?」とか「じゃーどーする?」って考えられて「恐怖」なんて出てこないですよね。
でもちょっと気を遣う相手との食事ならこうはいきませんよね。
こちゃこちゃ考えるくらいなら「好き嫌いないんで、〇〇さんの行きたいところへ行きましょう」とか言うてしまいます。
なんなら思っていることはあるけれど何も言わず頷く。
こんな風に、周りからどう思われるかという恐怖で、目立たないように、余計なことはしないようにと周りに合わせた行動をとっていました。
恐怖② 「頑張っている人」と思われたい。評価が下がることが怖い
いい評価を得たい。
多くの人はそう思うのではないでしょうか?
いい評価をしてもらえればうれしいですし、そうなるように教えられている傾向もあります。
なので、何をするにも目的が「いい評価を得るため」にすり替わってしまうことがあります。
それも知らない間に。
以前の私の例でいえば、自分ができることを増やすために、資格の勉強をしたり、自己啓発系の本を読んだりセミナーに参加したりしていました。
その行動に対して
「頑張ってるよね~」
「仕事しながら勉強もするってすごいよね~」
というような「いい評価」を得ることで満足してしまい、実際に学んだことを仕事に活かして人生を進めることができていませんでした。
何かを頑張っていると「安心」を得ることができました。
それは「頑張っている人」という評価を継続できるから。
なので、逆に「何もやっていない」のは不安で恐怖でした。
評価が下がるかもしれないという恐怖です。
スケジュール帳に空白がある。仕事や自己啓発に関わる学びを何もしていないというのは恐怖でした。
学校生活の中には、目的が「いい評価を得るため」とすり替わってしまったことがたくさんありました。
例えば宿題。
宿題の本来の目的は「予習、復習をして学びを身につける」ことです。
確かに身についていきました。
でもその裏には、
先生に怒られるのが怖い。
先生から褒められたい。
というような思いがあり、「いい評価を得るため、評価が下がらないようにするため」という私なりの違う目的ができあがっていました。
宿題の本来の目的とは別に「いい評価を得るため、評価が下がらないようにするため」という目的が優先されて、宿題はその手段となってしまっていました。
なので、学んだことはテスト対策的には役立ちましたが、テストが終わればどこえやら、、、活かしきれていません。
この「目的がすり替わってしまっている」ことには気づいていなかったので、本来の目的が果たされていなくても、「いい評価を得て、評価が下がらないようにする」という目的は果たされているので自分としては満足していました。
書いていると、なんだか残念な学生時代を過ごしていたなと思います。。。
多くの人が経験する学校生活で学んでしまう、
「いい評価を得たいと思うようになってしまったのはなぜ?」
について書いた記事があります。
評価されっぱなしの人生を確認してくださいw。

恐怖③ 理想と現実のギャップを目の当たりにするのが怖い
「普通よりもちょっとできるぐらい、「中の上」ぐらいでありたい。そして、そう思われていたい。」
というのが自分に対する理想で、周りから私を見たときの印象、得たい評価でした。
でもほんとは自分って「いけてない人」かもしれないという不安、そこを見透かされるんではないかという不安があり、「結果が出せないかもしれない自分」に出会うのが怖い。
なので一歩目は出せるけど、そこから進めなくなっていました。
結果を見るのが怖かったんですね。
これ以上進めば、結果が出るのがわかっているから進むのが怖かった。
理想とは違う自分と出会い、周りからの評価が下がるんではないかという恐怖で進めませんでした。
学生時代のテストの結果はもろにそれを表現してくれちゃっています。
中の上ぐらいの成績でありたい。数字になるとわかりやすいですよね。
点数が悪いと先生や親からの評価が下がってしまう。
信用されなくなってしまう。
そんな思考が働いていました。
恐怖④ 失敗が怖い。失敗することしか考えられていない。
仕事をしていく中で、「あーしたらいい、こーしたらいい」はいろいろ思いつくんですが、
実際にそれを実現することはなかなかできませんでした。
1人でやろうとしてしまうというのも一つの原因ですが、
「あんなことが起きたら、こんなことが起きたら」と考えると、怖くなって進めないんですよね。
恐怖①も働きます。「余計なことしてって思われるかな・・・。」とね。
誰かに相談したり頼ったりするのに苦手意識があったので、「失敗したらどうしたらいいんだろう・・・」とひとりで抱え込みがちでした。
失敗した時のことを考えたら、恐怖②の「評価が下がる」も働きます。
結局は「今が安全、動かない方がいい」という脳の働きによる「現状維持」の指令から、進まなくていい理由として「失敗したらどうしよう」が出てきていたんだと思います。
そんな脳の仕組みは理解していなかったので、もう「失敗したらどうしよう」が頭の中を駆け巡っていました。
「失敗」の先にはもう何もなく、そこで終わってしまう。やり直しはきかなくて、戻れないと思っていました。
「失敗を乗り越えた先がある」という発想がありませんでした。
そして失敗すれば自分の評価は下がる。
恐怖②ですね。何をするにも目的が「いい評価を得るため」とすり替わっているために「学んだことを活かしきれずに進まなくなる」という経験を積んできてしまいました。
それを繰り返したがばっかりに、自分に対する信用度は低くて、上手くいくとは思えなかったんですね。
自分を信じることができていませんでした。
今思えば、失敗するのが怖いとわかっていたんだから、上手くいった場合、いかなかった場合をそれぞれ考えておけば進めたように思います。
でも目的が「いい評価を得たい」にすり替わっていたんで「どうすれば進めるか」という風に考えようとはしなかったのかもしれません。
「進まない方が楽だ、安全だ」という発想しかなかったかもしれません。

いかがでしたか?思い当たるところはありましたか?
いろんな恐怖が出てきましたね。
こんな「恐怖」からの思考を繰り返した私が行きついたのは、
人からの評価を中心に考えるがあまり、自分と会話せず、自分を出さず、周りに合わせるようになっていました。
それで受け入れてもらえるのであればそれで良いと。
そんなことを繰り返していると、自分で判断することはせず他人に任せ、それに同調する。
自分で考えることをしなくなり、自分がどっか行ってることにすら気づかない始末。
という状態でした。
恐怖から逃れるために最終的に「行動しない」という選択肢を選んでしまっていました。
過去の私を振り返って行動を見直したとき、ほぼ恐怖から行動を起こしていたことに気づき、また恐怖を感じてしまいましたw
まとめますとね、
人生を進めるために取り組んでいたつもりが「いい評価を得るため」と目的が変わってしまっていて、「進んだつもり」になり、「恐怖」を増長して最終的に「行動しない」という選択をしてしまい、間違いなく進んでいなかった。
わけなんです。今ならわかるんですけどね。
で、これらの「恐怖」。最初にお話しした通り全て、
「周りの目、人からの評価を中心に考えていたから」
発生しています。
なので、
「人からの評価を気にしない。人の目を気にしない。」を選択して生活を続けると、この「恐怖」は消えるんです。
今の私はびっくりするくらい、4つの恐怖は消えました。笑けるくらいにw
目的がすり替わっていることに気づいて、しっかりと目的に合った選択ができるようになり、「失敗したらどうしよう」が「失敗は実験!次こうしよう」と考えるようになりました。
私たちは生活する中でたくさんの選択をしています。
朝起きる時間、着る服、食べるもの、etc。。。。
全部自分で決めていますが、基準はどこでしょうか?
以前の私のように、最強に周りの人の目を気にしていると、基準は「人の目」になってしまいます。
本来の目的を見失って、目的を果たせる選択ができなくなってしまいます。
「きっとあなたは気づいてる」んです。
潜在意識はどうしたほうがいいのか気づいています。知っています。
そんな潜在意識をちょっと意識してみましょ。
何かを選択するときに、ちょっとでいいんです。
- 「いつも「日替わり定食」頼んでるよな。自分基準で考えてないってことかな?」
- 「ほんとは赤色好きなんやけど、黒を選ぶ率高いよな。なんでだ?」
- 「残業せずに帰るの、帰りにくいなって思ってるよな。これってなんでやろ?」
人の目を気にしてしまうという自覚がある人は、自分で選んでいるけど、自分基準で選んでいないことがあるはずです。
目的がすり替わっていないか確認してみてください。
何を基準に選択しているのか確認してください。
まずは気づくこと。そうすればいつもとは違う選択肢が見えてきますよ♪
4つの恐怖を経験し理解し解消した私だからこそお伝えできることがあります。
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最後まで読んでいただいてありがとうございます。
お役に立てていただいて「ありがとう」な毎日をお送りください♪